2009-11

「ん」で終わる。

好きな食べものの名前は、「ん」で終わるものが多い。
おでん、うどん、パン、ラーメン、みかん、大根、
天丼とか、丼ものはずるいな、なんとか丼にすればなんでもオーケーになってしまう。
漬けもん、とか、炊いたん、とかは無理矢理。

完走

淀川のフルは、いちおう完走できた。
ネットで4時間54分というのは、いままでとそんなには変わらないが、
いままでの最高記録でもある。
途中の、「The Big Ben」でのロスを考えると、上出来であった。
行き2時間、帰り3時間というのはだいたい読めるかなと思う。
しかし、ほんまにしんどい。次の給水所まで走る、水もらって歩いて、走り出して、次の給水所まで走って、を繰り返してという感じで。

2週間前にハーフ、その前の週に10キロ、その前にも10キロしか練習していない。
にもかかわらず、そこそこいけてるのはどういうことか。

よく、フルを走り切る足をつくる、などという言い方をするが、
そういうことではなく、単に耐性ということだろうか。

「慣れ」と言ったらいいか。ある程度の負担を体にかけると、その負担の度合いを体が覚えていて、次のときには、はじめてのときよりも少し楽に感じる。

だからたぶん、月に一回フルマラソンを走るとするなら、毎日走るとかしなくても、一週間前に10キロぐらいの足慣らしで、いけるのではないだろうか。日常の一環みたいな感じで。

といいながらも、年にハーフを一回、フルを一回、これでいいかなと思っている。

時間の流れと空間の流れ

縦、横、高さを三次元空間と呼び、そこに時間の流れをいれて四次元空間という(たぶん)。
三次元と時間の流れは別物のように思うが、たとえば、宇宙空間とか、その時間の概念とかを想像したとき、われわれ地球人が考えつくのは、この地球上の範囲内の概念でしかなく、なんとか星の概念では、過去も現在も未来もなく、ただ「在る」だけ、みたいなこともあるかもしれない。
いま見えているあの星の光は何万年まえのものだみたいなことを学校で習ったような気がするが、ぼくはそんなことはないと思っている。いま見える光はいま光っている。根拠はないけど。

時間の流れは絶対で、過去は過ぎ去り、未来は未だ来ない、と思われている。
が、空間も実は流れていて、この空間は次の瞬間にはさっきの空間ではない、そんな考え方もできる。

スポーツでも、芸術などの表現でもそうだが、時間が絶対なものと、そうでないものとがある。
その瞬間を逃すと意味がなくなってしまうものと、そうでないものというほうがいいか。
時間制限のあるスポーツと制限のないスポーツ、時間制限はなくても瞬間に対応しなければならないこともある。野球はトータルの制限は基本ないが、瞬間をのがすとだめだ。ゴルフはボールタッチの一瞬以外は自分で時間を制御できる。
音楽はリズムに乗り遅れると、リズムだけ先にいってしまって困る。
絵画は自分のペースで創作できる。
鑑賞する側からいうと、スポーツはほぼ時間優先で、音楽もそうで、絵画、書物は時間に左右されない。
表現を鑑賞するのに、表現者と時間を共有する必要があるか、ないかというほうがわかりやすいかもしれない。
ごちゃごちゃ書いたが、なにを言いたいかというと、人間も瞬間的な対応が得意か、じっくり自分のペースでできるほうが得意かというのがあるだろうということ。
ぼくはつねづね、どうも音楽には才能がないように思っている。
デザインとかイラストとかは本業にしているだけあって向いていると思う。
学生のときのサッカーも、いま思えば、試合になると下手であった。
競技ではない、ジョギングとか水泳とかはいいのだが。

言いたいことを巧く表現できなかったが、
時間の流れと空間の流れ、ということにしておく。

お金と枷、お米と価値

お金というのは、生きている人間にだけ関係がある。死んだ人間には関係なく、いきている動物にも関係がない。
わたしはこれで食っているとか、それで食っていけるのかとか、食うという表現で仕事について語ることがあるが、食うのは食べ物であって、お金ではない。
お金そのものは、食えない。お米なら食える。
世の中の通貨を、お米にすればいいのではないか。

お金は人間がつくった。もともとは物々交換のための媒介として発明されたのだろうが、いまや、お金をお金で買ったり売ったり、なんかただの数字というか、なんというか、虚像というか、なんだかわからないものになってしまっている。
仮に、今日の今から、お金の制度を世界的に廃止ということにして、ただ数字だけにする、具体的に言うと、「はい、10000円ね。」「はい、5000円のおつりですね。」とか、実際はお金のやりとりをせずに口で言うだけ(具体的?)というのはどうだろうか。
何か問題があるだろうか。そのうち、口で言うのも必要なくなるのではないか。

空気はタダである。ぼくがずっと考えていたことを、今週、糸井さんが書いていたので、やばいと思ってあせって書いている。海も川も基本的にタダであるが、誰かが管理していたりすると、そこにはお金が必要になってくる。魚も自分で釣ったらタダだが、だれかが採ったのにはやはりお金がかかる。

土地に値段がつくというのはどういうことだろう。最初にここはおれのものだと言ったやつがいるのだろうか。よくわからない。

この地球上のものはすべて、自然のものである。自然のものは自然にあるのであって、お金とは関係ない。人間が勝手につくっているだけで、勝手に枷をはめているだけだ。わざわざ不自由な決まりをつくっているだけだ。お金だけに限らず。なになにしなければいけないとか。こうでなければいけないとか。常識とか。普通は、とか。

経済の発展のもとは、欲望の追求であり、便利さの追求、快適さの追求であろう。
そこそこ満たされてきた現在、さらに経済を発展させるには、ものすごい快楽をともなう娯楽とか、超画期的なアイデアつきの商品とか、そういうものの開発、流通が必須だろう。しかしそれも、もはや出つくしていると言ってもいいような。

「働く」「仕事する」というのは、どっかに勤めて給料をもらうとか、自分で何か仕入れてどっかに買ってもらってその差額を利益とするとか、普通そういうことをいう。
自分たちの今晩の食べ物を釣り竿をもって釣りにいくのは「仕事」というのか。
完全自給自足の農作業は、「仕事」というのか。
仕事というとかいわないとかいうことではなく、仕事でも仕事でなくてもいいではないか、というか、そういう意味では別に仕事する必要すらないのではないか。食えればいいんだろう。

もう一度書くが、いまのところ空気はタダである。
呼吸できなければたぶん5分も生きていられないだろう。
食べもの飲みものよりも大事な、空気がタダであることは、
ありがたいことなんだなあと、発見というか、再認識というか、した次第である。

人類の進化形

人類が進化すると植物になるのではないか。
植物のほうが人間より、あらゆる面で進んでいると思うのだが。

神など、いない。

「神などいない」というところから、始めたらどうだろうか。
こっちの神がほんもので、あっちの神はにせものだ、みたいなことばっかりだ。

平和とか幸福とかを求めているんだろう。
求めるものがいっしょなら、認め合えばいいではないか。
だいたい、徒党を組むのがよくないんじゃないか。そもそも。

ランとスイム

10.19にハーフ、11.2にフル。
目標は完走。今年はこんな感じで。

進むバタ足について。
平泳ぎの足は足の内側で後ろに押すが、
足の外側で後ろに押すイメージで、
ひと蹴りひと蹴りを大事に。
キックとか蹴りとかいうけど、
どちらかといえばジャンプという感じだろうか。

足首をぐっと内側にまげることで、足の甲が後ろに向きやすくなる。
あとは、日頃の足首のストレッチ。
最近、ようやく進むようになってきた。

その答えは、風の中、空の上。

単純に多数決というわけにはいかないのだろうか。
学級委員を決めるみたいに。

政党とか派閥とか、なしというわけにはいかないのだろうか。

けんけんがくがくとやればいいではないか。
筋書きや建前や根回しなど、そんなものは、なしで。

お米

そもそも、カビやら農薬やらのもんを輸入しなあかんというのは、そしてそんなもんを保存しとかなあかんというのは、いったいどういうことやねん。
糊でもいややわ。

スポーツマンシップ

「スポーツマンシップにのっとり、正々堂々と」などと、いまはどうだか知らないが、昔は選手宣誓のときによく言われていた。
スポーツのほとんどは、勝負ごとであり、それぞれのルールのなかで相手に勝つのを目的としている。直接的な勝ち負けと間接的な勝ち負けがあって、直接的というのは、ほとんどの球技や格闘技などのように相手がいてはじめて成立する競技、間接的のほうは、陸上競技、水泳、体操などのように、記録、得点をもとにして結果的に勝敗が決まる競技である。
直接的に勝ち負けを競うというのは、敵、味方の概念が最初からあり、相手のいやがるところをついていって、得点をとったり、ダメージを与えたりすることである。フェイントとか言って、こっちいくふりして逆のことしたりする。ルールのなかでおたがい力を出し合って戦う、だから正々堂々だとも言えるかもしれないが、べつに戦わんでもええんちゃうんとも思ってしまう。
間接的なほうは、それでいいとも思うが、水泳の水着みたいになると、どうやねんとも思う。おんなじ条件でやれ、とか。みんなにspeedoのそれを支給したらええやん、speedo社が全員分支給しろ、とか。
最近、サッカーも野球もあんまり興味ない。オリンピックもワールドカップも。
単に年のせいかもしれないな。むっちゃ早起きやし。

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マキタカオ

Author:マキタカオ
45才 京都市左京区在住 吟遊詩人 料理人 フォークシンガー 哲学者 バカな平和主義者 グラフィックデザイナー 整体師  革職人

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